
今から1200年前の平安京の頃、都の最も東に位置した南北の通りを京極通りと呼んだ。豊臣秀吉は、市街の整備と京都の防衛を目的に市中の多くの寺をこの通りに集め、寺町通りと名づけた。
寺院への多くの参拝客でにぎわい、周辺地域は各種見世物、催し物を中核に発展した。1872(明治5)年、この地域を歓楽街として整備し、寺町通りの東側に1本の道路が新設された。東京は浅草の仲見世商店街に次いで日本で二番目に古い商店街、新京極通りが誕生した。
戦後は演劇場と映画館が軒を連ね、1960年代からは修学旅行生が増え、土産物店が中心の街になるなど、目まぐるしい変遷を繰り返した。
三条通りから四条通りまで南北に約550メートルの商店街には、現在も若者向けの衣料品店や飲食店、土産物店など約150店が並び、多くの観光客らで変わらぬにぎわいを見せている。
|